国分寺の歴史
 国分寺は、天平13年(741)聖武天皇の勅願(詔)によって諸国に68ケ寺建立された官立の寺院です。
 その詔の中に『国泰らかに人楽しみ、災除き福至る』と国民の幸せを祈念され、当時流行っていた、疫病・戦乱から国民を守り、五穀の豊作の世となるようにと諸国に建立されました。
 創建当初の国分寺は、寺域2町四方、その中に、南大門・中門・回廊・金堂・講堂・七重塔などの七堂伽藍がありました。
 また、本尊は、丈六の釈迦如来でした。
 国分寺の正式名称は、金光明四天王護国の寺といいます。
周防国分寺
 現在の伽藍は、奈良時代の創建時の位置に立っており、全国的に珍しい。この度の、金堂の解体修理の過程での発掘調査で、現在修復している、金堂は奈良時代、創建当初の金堂の上に再建されおり、創建当初から、その位置が動いてないことが、判明致しました。
 現在の寺域は、東西に約1町、南北に2町の寺域を保持し、その中に、仁王門・金堂・聖天堂・二の門・持仏堂・庫裏・長屋・土蔵を現在に伝えています。
 ご本尊は、室町時代の薬師如来坐像(重要文化財)で、その他に平安時代初期の日光・月光菩薩(重要文化財)、藤原時代初期の四天王(重要文化財)など、数多くの仏像を安置している。
 宗派は、高野山真言宗(別格本山)に属している。
 
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